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伝習所だより

AIでは作れないもの。長崎くんちの「アンカー」

2026年10月14日 文:マサキ

西野亮廣さんの投稿を読んで、長崎くんちのことを考えました。

西野さんは、AIでは生成できないもの、例えば「歴史」「プロセス」「土地」「人間関係」などを、船の錨に例えて「アンカー」と呼んでいます。

そして、「アンカー無きコンテンツは全て淘汰される」と。

これ、長崎くんちに置き換えると、ものすごく大切な話だと思うんです。

AIは御朱印船の映像は作れても

今のAIは本当にすごい。

例えば、長崎くんちの御朱印船が長崎のまちを進んでいく映像だって、AIを使えば作れる時代になりました。

迫力ある音楽をつけたり、幻想的な演出を加えたり、実際には存在しないような壮大な奉納踊を映像として表現することもできる。

でも、そこには絶対に作れないものがあります。

それが「歴史」です。

なぜ本石灰町が御朱印船を奉納するのか。

先人たちはどのような思いで、この演し物を受け継いできたのか。

誰が技術を教え、誰が資金を集め、誰が町内の人たちをまとめ、どれだけの苦労を重ねてきたのか。

その積み重ねは、どれだけAIが進化しても生成することはできません。

AIは御朱印船の映像を作ることはできても、御朱印船を守ってきた人たちの人生までは作れないんです。

「人間関係」という、とてつもなく強いアンカー

そして、もう一つ。

長崎くんちには「人間関係」という、とてつもなく強いアンカーがあります。

西野さんは、これをあえて「癒着」という言葉で表現しています。

もちろん、不正な癒着を肯定しているわけではなく、長い時間をかけて築かれた信頼関係や人脈のことです。

長崎くんちも、まさにそう。

「あの人が言うなら協力しよう」

「あの町には昔お世話になったから」

「先代からの付き合いがあるから」

こうした人と人との関係によって、祭りが成り立っている部分は本当に大きい。

正直、こういう小さな地域社会では、人間関係が一番難しかったりします。

昔からのしがらみもあるし、面倒なことも多い。

どれだけ正しいことを言っても、それだけでは人は動きません。

どんなに合理的で効率的な仕組みを作っても、その先にいるのは人間です。

結局、「あいつが言うなら、やろうか」と思ってもらえる関係がなければ、まちは動かない。

そして、その信頼関係は、お金でもAIでも簡単に手に入れることはできません。

長年、地域のために汗をかき、面倒なことを引き受け、時には頭を下げながら築いてきたものだからこそ、価値があるんだと思います。

ただし、ここには一つ難しい問題もあります。

それは、こうした強い人間関係が、時として新しい人たちを遠ざけてしまうことです。

歴史を守ることと、昔からのやり方を全て守ることは、必ずしも同じではありません。

先輩方が築いてきた信頼関係を大切にしながら、新しい人たちが参加できる環境も作っていかなければ、結果として伝統そのものが途絶えてしまう可能性があります。

若者は歴史を取りに行け

そして、今回の西野さんの投稿で、僕が特に考えさせられたのが「若者は歴史を取りに行け」という部分です。

西野さんは、若者がAIという新しい技術だけで勝負しても、すでに資金や人脈など多くの資源を持っている大人たちには勝ちにくいと指摘しています。

だからこそ、若いということ自体を武器にして、引退を考えている先輩方の後継者になり、歴史というアンカーを受け継いでいくことが大切なのではないかと。

これを読んだとき、長崎くんちの未来と重なりました。

長崎くんちには、長年の経験を持つ先輩方がたくさんいます。

演し物の技術を知っている人。

道具の扱い方を知っている人。

町の歴史を知っている人。

町内の人間関係や、昔からの約束事を知っている人。

その一つひとつが、ものすごく貴重な財産です。

ところが、その多くは教科書に書いてあるわけでも、マニュアルとして整理されているわけでもありません。

先輩方の頭の中にあり、経験の中にあり、人間関係の中にある。

つまり、その人がいなくなれば、一緒に失われてしまうものがたくさんあるんです。

だからこそ、若い人たちには、もっと先輩方の懐に飛び込んでほしい。

ただ祭りに参加するだけではなく、準備の段階から関わり、面倒な仕事も引き受け、酒を酌み交わしながら昔の話を聞いてほしい。

なぜ、このやり方をしているのか。

なぜ、この人にお願いしなければならないのか。

なぜ、この順番で進めなければならないのか。

一見すると非効率に見えることにも、長年積み重ねられてきた理由があるかもしれません。

それを理解した上で、変えるべきところは変えていけばいい。

一方で、先輩方にも、若い世代へ任せる勇気が必要だと思います。

いつまでも同じ人たちだけで祭りを動かしていては、次の世代は育ちません。

失敗することもあるでしょう。

昔と違うやり方に戸惑うこともあるでしょう。

それでも、若い人たちに経験する機会を与えなければ、歴史は受け継がれていかない。

本当に怖いのは、つながりが途切れること

長崎くんちは、少子高齢化や若者の人口流出など、担い手不足という大きな課題を抱えています。

でも、僕は単純に人数が減っていることだけが問題ではないと思っています。

本当に怖いのは、歴史を引き継ぐ人と、引き継がれる人のつながりが途切れてしまうことです。

人が少なくなっても、知識や技術、思いを受け継ぐ人がいれば、未来につながる可能性はあります。

反対に、どれだけ多くの人が参加していても、表面的な盛り上がりだけで終わってしまえば、肝心なものは残りません。

AIは、AIでは作れない価値を守るために使う

では、AIは長崎くんちに必要ないのか。

僕は、むしろこれから積極的に活用するべきだと思っています。

先輩方へのインタビューを記録する。

昔の写真や資料を整理する。

町の歴史や演し物に込められた意味を、子どもたちにも分かるように伝える。

これまで一部の人しか知らなかった知識を、次の世代が学べる形にして残していく。

そういうことにAIを使えば、ものすごく大きな力になると思います。

僕が取り組んでいる「長崎くんち伝習所」も、まさにその一つです。

ただ華やかな奉納踊を紹介するだけではなく、その裏側にいる人たちや、受け継がれてきた思い、普段はなかなか知ることのできない歴史を伝えていきたい。

そして、それをきっかけに、実際に祭りへ関わる人が一人でも増えてくれたら嬉しい。

ただし、AIで記録を残すことと、伝統を継承することは別の話です。

船の曳き方を動画で学んだからといって、実際に船を曳けるわけではありません。

町内の人間関係を資料にまとめたところで、その人たちから信頼されるわけでもありません。

結局、最後は人間なんです。

AIを使うこと自体を目的にするのではなく、AIでは作れない価値を守り、次の世代へつないでいくためにAIを使う。

この順番を間違えてはいけないと思います。

錨を上げ、帆を張る

そして、最後にもう一つ。

西野さんが使っている「アンカー」という言葉。

船の錨という意味ですが、御朱印船に関わる一人として、なんだか特別に感じました。

錨は、船が流されないようにつなぎ止めておくものです。

でも、船は錨を下ろしたままでは前に進めません。

進むときには錨を上げ、帆を張り、次の目的地へ向かわなければならない。

これって、伝統文化も同じなのかもしれません。

歴史という錨を持つことは大切です。

でも、その歴史に縛られて、一歩も前に進めなくなってしまっては意味がない。

先人たちが築いてきたものを大切にしながら、今の時代に合った方法で、次の世代へつないでいく。

守るべきものは守り、変えるべきものは変える。

そして、若い人たちが新しい帆を張って、未来へ船を進めていく。

AIが何でも作れるようになっていく時代だからこそ、何十年、何百年という時間をかけて築かれてきたものの価値は、ますます高まっていくと思います。

でも、その価値は、何もしなくても守られるわけではありません。

歴史があるだけでは、伝統は続かない。

それを受け継ぎ、次の世代に手渡す人がいて、初めて未来につながっていく。

AIで新しいものを作ることも大切だけれど、AIでは絶対に作れないものを、どう未来へ残していくのか。

長崎くんちに関わる一人として、これからも考え、行動していきたいと思います。

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