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写真:©Yokoo(許可を得て使用)

清明会2026年の踊町

筑後町 傘鉾・龍踊(じゃおどり)

令和8年(2026年)の踊町を見る

奉納
2016年・2026年
次回
2033年
@chikugo.jaodori(筑後町龍踊保存会の Instagram・別ウィンドウで開く)

龍踊の紹介

筑後町は長崎駅の近くの町です。
江戸時代に筑後地方(今の福岡県南部)から商人が多く移り住んだことが町名の由来とされます。
町に龍を作る職人がいたことから、昭和48年(1973年)に龍踊を始めました。
くんちで3番目に龍踊を始めた町として、ほかの町と違いを出すために青龍2体と白龍1体の3体を使うのが特徴です。
2026年は10年ぶり8回目の奉納で、スローガンは「三龍一心」。
3体の龍が入り乱れる大技「巴踊り」が見どころです。

演し物
龍踊(傘鉾・龍踊)
龍の数
3体(青龍2・白龍1)
奉納の始まり
昭和48年(1973年)
2026年の奉納
10年ぶり8回目
龍衆
75人(半数以上が新人)
1体を操る人数
10人
出演者
130人超
運営
筑後町龍踊保存会

ここに注目

  • 3体の龍が同時に乱れ入って舞う大技「巴踊り」
  • 青龍2体・白龍1体の3体で舞うのは筑後町だけ
  • とぐろを巻いて玉を探す「ずぐら」、素早く巻いて開く「マケマケ」
  • 2026年のスローガンは「三龍一心」。出演者は130人超

町の歴史と町名の由来

筑後町は長崎駅の近くにある町です。
江戸時代、筑後地方から多くの商人が移り住んだことが町名の由来とされています。

長崎伝統芸能振興会のコラムによると、かつての上筑後町の傘鉾は、長崎随一の料亭と言われた「迎陽亭」の杉山家が一手持ち(費用を一家で負担すること)をしていたと伝わります。
戦後まもない昭和23年(1948年)には、上筑後町が傘鉾なしで長与村の獅子踊りを奉納した記録も残っています。

演し物のあらすじ・構成

龍踊は、月に見立てた玉を龍が追い求める様子を表す、くんちを代表する演し物です。
筑後町では、町に龍を作る職人がいたことから昭和48年(1973年)に奉納を始めました。

くんちで3番目に龍踊を始めた町として、先輩の町と変化をつけるために3体の龍を使うことにしたと言われます。
青龍2体と白龍1体が入れ替わり立ち替わり現れ、荒々しく舞います。
龍囃子には子どもたちも加わり、ドラや太鼓、龍声ラッパを力強く鳴らして踊りを盛り上げます。

見どころ・大技・掛け声

最大の見せ場は「巴踊り」。
3体の龍が同時に踊り場へ乱れ入り、引き締め合いながら一斉に舞います。
広くはない石畳の上で3体がぶつからないよう、龍衆一人一人の進む道と、龍を振る間合いを体に叩き込んで臨みます。

ほかにも、玉を追う「玉追い」、とぐろを巻いて玉を探す「ずぐら」、素早くとぐろを作ってパッと開き再び玉を追う「マケマケ」などの動きがあります。
1体の龍は10人の龍衆が操り、全員の呼吸がそろって初めて形になります。
3体の龍が同時に舞う姿は、筑後町の奉納でしか見られません。

これまでの奉納(年ごとの話題)

1973年:龍踊の奉納を始める。

2016年:前回の奉納。

2026年:10年ぶり8回目。
スローガンは「三龍一心(さんじゃいっしん)」。
出演者は130人を超え、龍を操る龍衆は75人で、その半分以上が新人です。
花形の「龍頭」には新人も抜てきされました。
若い担ぎ手が加わり、参加する世代の幅も広がっています。
庭見世では、龍や楽器が町内のホテルセントヒル長崎に飾られました。
2026年の奉納順は六番町です。

筑後町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 3体の龍が同時に乱れ入り競演する大技「巴踊り」筑後町の龍踊、新人“龍頭”は小学校の先生【シリーズ 長崎くんち諏訪の舞台へ②】

    NBC長崎放送(YouTube)

  • 長崎くんち踊町紹介③筑後町 スローガンは「三龍一心」3体の龍が舞う「巴踊り」で魅了

    NCC長崎文化放送(YouTube)

  • 筑後町の龍踊 恩師と教え子の絆の奉納【長崎くんち2026】

    KTNテレビ長崎(YouTube)

筑後町の Instagram

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