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ながさき大くんち展で展示された元船町の唐船(写真:運営者)

清明会2026年の踊町

元船町 傘鉾・唐船祭(とうせんまつり)

令和8年(2026年)の踊町を見る

奉納
2016年・2026年
次回
2033年

唐船祭の紹介

元船町は大波止に近い港の町です。
長崎が開港したころ、貿易船が停泊する波止場だったことが町名の由来とされ、今の町は明治37年(1904年)の埋め立てで生まれました。
演し物の「唐船祭」は元船町だけのもので、鎖国時代に入港した唐人船のにぎわいを再現します。
船には航海安全の神・媽祖が祀られ、重さ約5トン・全長約6メートルの船を、前進・後退・回転を組み合わせて豪快に曳き回します。
2026年のテーマは「静と動」で、新技「風神・雷神」も披露します。

演し物
唐船祭(傘鉾・唐船祭)
船の重さ
約5トン
船の長さ
約6メートル
根曳
24人(2026年)
船に祀る神
媽祖(崇福寺の像)
2026年の奉納
唐船祭として9回目
町の誕生
明治37年(1904年)の長崎港埋め立て
傘鉾の飾り
大波止の鉄砲玉・鶴2羽・老松

ここに注目

  • くんちで唯一、航海安全の神・媽祖を祀る唐人船
  • 約5トンの船を前後・回転で操る、緩急ある船回し
  • 回転しながら軸を移す難技「ドラゴン」
  • 2026年の新技「風神(右3回・高速)」「雷神(左3回・ゆっくり)」
  • 子どもたちの「姑娘の踊り」と唐楽の生演奏

町の歴史と町名の由来

開港のころ、今の長崎駅のあたりまでが唐船やオランダ船の寄る大きな波止場で、もとは「船町」だったことから元船町と名付けられたと、町の自治会は紹介しています。
町そのものは明治37年(1904年)の長崎港の埋め立てで生まれました。

町のシンボルは、大波止に残る「鉄砲玉(てっぽんたま)」。
長崎名物の一つとして知られ、傘鉾の飾りにもなっています。

演し物のあらすじ・構成

唐船祭は、荒波を越えて長崎に着いた唐人船と、入港を喜ぶ人々のにぎわいを表します。
船には崇福寺の媽祖像が祀られ、踊町の年には像が町に迎えられて、諏訪の神々と入港の喜びを分かち合うとされます。
媽祖を祀る演し物はくんちの中でも唐船祭だけです。

奉納では、まずチャイナドレス姿の子どもたちが「姑娘(クーニャン)の踊り」を舞い、続いて子どもたちが生演奏する唐楽(明清楽)に合わせて、根曳衆が唐人船を踊り場いっぱいに曳き回します。

戦後の1951年には、元船町と玉江町が合同した大波止町として、江戸時代の媽祖行列を再現した「入船祭り」を出しました。

見どころ・大技・掛け声

船は約5トンと、くんちの曳き物の中でも最も重い部類です。
采振長の合図で船の動きが次々に変わる、先の読めない船回しが持ち味で、勢いよく回すだけでなく、采振長の目の前でぴたりと止める「静と動」のメリハリが求められます。

回転しながら軸を移していく難技「ドラゴン」に加え、2026年は新技「風神・雷神」を披露。
右へ高速で3回まわる「風神」と、打って変わってゆっくり左へ3回まわる「雷神」の組み合わせです。
稽古では船に約1トンの土嚢を積み、重さに体を慣らしました。

傘鉾

傘鉾の飾りは、大波止の鉄砲玉を中心に、鶴の港にちなんだ鶴2羽と老松を配したものです。
自治会によると、昭和62年までは「鉄砲玉に鴎三羽と錨」、平成7年からは「竜宮門に千里眼・順風耳の立像と金波銀波」と変わり、平成21年からは初めて出たときの姿を再現した今の形になっています。

これまでの奉納(年ごとの話題)

1951年・1958年:大波止町として、媽祖像を神輿に乗せて担ぐ「入船祭」を奉納。

1960年代:唐人船を曳き回す「唐船祭」を始める。

2016年:入船祭の一部だった、媽祖像を崇福寺へ運ぶ「ボサ祭」を復活。
今も本番前に行列を組んで媽祖像を迎えに行きます。

2026年:唐船祭として9回目。
コロナ禍で3年延びての奉納です。
根曳は24人で、半数を超える14人が新人。
掲げた言葉は、先人に学んで今を照らす「稽古照今」。
庭見世では唐人船や衣装がプラタナス広場などに飾られました。
2026年の奉納順は三番町です。

元船町の写真

元船町の奉納の様子

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