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ながさき大くんち展で展示された東濵町の竜宮船(写真:運営者)

昭平会

東濵町 傘鉾・竜宮船(りゅうぐうせん)

令和9年(2027年)の踊町を見る

奉納
2017年
奉納予定
2027年
@ryugusen2017(東濵町竜宮船(2017年の公式)の Instagram・別ウィンドウで開く)

竜宮船の紹介

浜町アーケードのある商店街の町です。
海を埋め立ててできた町で、海にちなむ竜宮伝説を演し物にしてきました。
昭和49年(1974年)からは曳物の「竜宮船(竜宮舩)」を奉納しています。
白い雌の竜の背に、二層の宮造りの屋形をのせた船で、デザインは長崎出身の漫画家・清水崑です。
豪快な船回しと乙姫の舞が見どころで、2017年は船回しと乙姫の演技が初めて一つになりました。
町は2024年に年番町を務め、次の奉納は2027年です。

竜宮船の初奉納
昭和49年(1974年)
船の大きさ
全長5.4メートル・高さ3.6メートル
デザイン
清水崑(漫画家)
根曳など
長采1人・添根曳4人・根曳22人
町の成立
寛文12年(1672年)に浜町が東西に分かれて誕生
年番町
2024年(令和6年)

ここに注目

  • 清水崑がデザインした、赤い毛の白い雌竜の船
  • 豪快な船回しと、乙姫・竜宮の舞
  • 2017年、船回しと乙姫の演技が初めて一つに
  • 蛤の蜃気楼に竜宮城が浮かぶ傘鉾
  • 戦後すぐは宝塚の演出で総勢300人の本踊

町の歴史と町名の由来

東濵町は、もとは海辺だった場所を埋め立ててできた町です。
最初は一つの「浜町」でしたが、寛文12年(1672年)に東西に分かれ、東濵町が生まれました。
明治以降は商店街として栄え、今の浜町アーケードの一角になっています。

町名は昭和41年(1966年)の町名変更で地図から消えました。
それでも自治会と青年会が残り、くんちの踊町として「東濵町」の名で奉納を続けています。
商店街の人たちが、子どものころは囃子、大人になって根曳と、年代を追って船にかかわるのが特徴です。

演し物のあらすじ・構成

竜宮船は、浦島太郎の竜宮城を思わせる曳物です。
全長5.4メートル、高さ3.6メートル。
竜の体の上に、宮造りの二層の屋形がのります。
隣の西濵町の龍船が青い雄の竜なのに対し、こちらは赤い毛をなびかせた白い雌の竜です。
デザインはかっぱの絵で知られる清水崑、制作は京都です。

船を動かすのは、長采1人、添根曳4人、根曳22人の大人の男性たち。
船の中では小学生20人前後が囃子を受け持ちます。
乙姫と竜宮の舞も加わり、2010年からは新体操の技も取り入れています。

見どころ・大技・掛け声

見どころは、大きな船を力いっぱい回す船回しです。
踊り場では舳先を左右に向けて止め、竜の姿を見せます。
観客は「モッテコーイ(もう一度)」と声をかけ、船は何度も戻ってきます。

2017年は、船回しと乙姫の演技が初めて一つの流れになりました。
最後の日は、地元の浜町アーケードで締めくくります。

傘鉾

2017年の傘鉾は、昔は浜辺だった町にちなむ飾りでした。
蛤が潮を吹き、その蜃気楼の中に竜宮城が浮かぶ様子を表しています。
垂は日によって替え、前日は赤地に金色の青海波、後日は海の底の模様でした。
輪は黒いビロードで、2017年に新しく作り、町名を長崎刺繍で入れています。

これまでの奉納(年ごとの話題)

江戸時代から昭和の初めまでは、唐風の行列「唐子踊」や本踊「春日竜神」を奉納していました。
19世紀初めの絵巻には、張りぼての象や竜宮門の行列が描かれています。

昭和28年(1953年)からは、宝塚歌劇団の演出指導による本踊「唐様恋錦絵」を3回奉納しました。
虞美人と項羽・劉邦の物語で、昭和28年は総勢300人の大がかりな舞台でした。

昭和49年(1974年)に竜宮船が初登場し、昭和51年には特別に出演しています。
2022年の「ながさき大くんち展」では、出島メッセ長崎に全踊町の演し物と並んで展示されました。

次の奉納は2027年(令和9年)です。
踊町は奉納の4年後に年番町を務め、その3年後にまた踊町になります。
2024年(令和6年)は、この組の町が年番町として神社の祭事やくんちの運営を支えました。
東濵町は2024年の年番町でした。

東濵町の写真

東濵町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 平成29年長崎くんち踊町② 東濵町 竜宮船 (平成22年の映像)

    NBC長崎放送(YouTube)