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ながさき大くんち展で展示された八坂町の川船(写真:運営者)

昭平会

八坂町 傘鉾・川船(かわふね)

令和9年(2027年)の踊町を見る

奉納
2017年
奉納予定
2027年
@yasakamachi_kawafune(八坂町 川船(公式)の Instagram・別ウィンドウで開く)

川船の紹介

八坂神社(祇園さん)のまわりの住民が「踊町・八坂町」として奉納を続けています。
今は町名としての八坂町はありませんが、くんちの仲間は2年ほど前から奉賛会をつくって準備します。
演し物は川船。
陸軍の砲台車を使ったという3輪の小ぶりな船で、回る速さはくんちでも指折りです。
回る船の舳先につかまって根曳が宙を舞う大技は、昭和28年の偶然から生まれました。
子どもの網打ち船頭の投網も見逃せません。
次の奉納は2027年です。

船の車輪
3輪(陸軍の砲台車)
川船への転換
明治36年(1903年)
宙を舞う大技の始まり
昭和28年(1953年)
保持団体
くんち奉賛会(約2年前に組織)
年番町
2024年(令和6年)

ここに注目

  • 陸軍の砲台車を使った3輪・舵付きの小ぶりな船
  • くんちでも指折りの回転の速さ
  • 根曳が宙を舞う大技(昭和28年の偶然から)
  • 子どもの網打ち船頭が投網で魚をとる
  • 鳥居と玉垣に松と紅葉を飾った傘鉾

町の歴史と町名の由来

八坂町は、明治時代に今石灰町と新石灰町が一つになってできた町です。
町名は町内にある八坂神社から来ています。
八坂神社はくんちの踊り場の一つで、各町は諏訪神社のあと、ここでも演し物を奉納します。

今は町名変更で鍛冶屋町の一部になっていますが、奉納の番が近づくと、2年ほど前から「くんち奉賛会」を組織します。
自治会を中心に、くんちの経験者が集まって準備を始めます。

演し物のあらすじ・構成

川船は、川の漁船を表す曳物です。
船の上には囃子方(大太鼓・締太鼓・鉦)が乗り、子どもが扮する網打ち船頭が投網で魚をとる芸を見せます。
1996年の奉納では、囃子を男の子の組と女の子の組に分け、途中で入れ替わって演奏しました。

演技の流れは、船頭の網打ち、船の前進と後退、そして引き回しです。
引き回しは、激しい川の渦にもまれる船の様子を表しています。

八坂町の川船は、船大工町から曲や演技を習って始めたと伝わります。
本踊から川船に替わったのは明治36年(1903年)とされます。

見どころ・大技

八坂町の船は3輪です(ほかの町の多くは4輪)。
台車は陸軍から譲り受けた砲台車で、舵も付いています。
小ぶりで軽く、川船の中でも最軽量。
そのぶん速く回り、「スピードだけはかなわない」とほかの町からも言われます。

名物は、回る船の舳先につかまった根曳が宙を舞う大技です。
昭和28年の本番、狭い踊り場で軸がずれ、根曳が客の頭上を跳んだのが受けたのが始まりでした。
回転の軸になる右後輪に飛び乗る技も、根曳のとっさの動きから生まれています。

傘鉾

2017年の傘鉾は、白木の鳥居と玉垣に、松と赤い紅葉を飾りました。
松の葉はガラス細工です。
垂は前日と後日で替え、前日は波と跳ねる鯉、後日は諏訪・森崎・住吉の三社の紋を金糸で刺繍したものでした(個人サイトの記録による)。

これまでの奉納(年ごとの話題)

戦前は昭和7年(1932年)、戦後は昭和28年(1953年)から川船で出ています。
大正14年(1925年)の川船の写真は、2017年の長崎歴史文化博物館の企画展で紹介されました。

前々回の奉納では、宙を舞うトップに女性を起用して話題になりました。
2017年も3日間、諏訪神社やお旅所、市中の庭先回りで船を回しました。
2022年の「ながさき大くんち展」では、最軽量の船として軽やかに会場入りしています。

次の奉納は2027年(令和9年)です。
踊町は奉納の4年後に年番町を務め、その3年後にまた踊町になります。
2024年(令和6年)は、この組の町が年番町として神社の祭事やくんちの運営を支えました。

八坂町の写真

八坂町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 平成29年長崎くんち踊町③ 八坂町 川船 (平成22年の映像)

    NBC長崎放送(YouTube)