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写真:©Yokoo(許可を得て使用)

神清会

船大工町 傘鉾・川船(かわふね)

奉納
2013年・2023年
奉納予定
2030年

川船の紹介

かつて海に面し、船づくりに関わる人が多く住んだ町です。
演し物の川船は、子どもの船頭が投網で魚を捕り、川をさかのぼって諏訪の神様に届ける、という筋立て。
紅葉と白菊で飾った船を20人の根曳が激流に見立てて縦横に曳き回し、最後は囃子の子どもを乗せたまま諏訪神社の石段を下ろします。
戦後まもない昭和24年(1949年)には、原爆の焼け跡が残る中で船を新しく作って出演しました。
傘鉾は踊町でただ一つ、傘の縁に輪がありません。

船の重さ
約2トンといわれる
根曳
20人(2023年)
戦後の川船での初出演
昭和24年(1949年)・船を新調
川船会の発足
昭和32年(1957年)
保持団体
船大工町自治会
次の奉納
2030年(令和12年)

ここに注目

  • 子ども船頭の網打ち
  • 采の合図で一気に回す、速さと迫力の船回し
  • 根曳衆の片肌脱ぎ
  • 船を石段から下ろす「階段落とし」
  • 踊町でただ一つ、輪のない傘鉾

町の歴史と町名の由来

町の名は、船大工が住んでいたことに由来します。
元は海岸沿いの町で、近くには唐人屋敷があり、海には中国の船が泊まっていたといいます。
埋め立てで海は遠くなり、今は思案橋から続く長崎屈指の歓楽街の一角です。

いつから川船を出しているのかははっきりしませんが、記録では戦前の昭和3年(1928年)と昭和10年(1935年)に奉納しています。
戦時中の昭和17年(1942年)は囃子と傘鉾だけで出演しました。

演し物のあらすじ・構成

川船には大太鼓・締太鼓・鉦の囃子方の子どもたちと、子どもが扮する船頭が乗ります。
前半の見せ場は船頭の網打ち。
踊り場を川に見立てて投網を打ち、魚を見事に捕らえます。

後半は、船を前へ後ろへと動かし、勢いよく回して、急流の渦にもまれる川船を表します。
曳き回すのは20人の根曳衆で、衣装の裾には波と跳ね上がる緋鯉が描かれ、根曳そのものが波を表すといわれます。

見どころ・大技

重さ約2トンとされる船を、長采が振る采の合図で一気に回す船回しは、スピードと迫力が持ち味です。
「モッテコーイ」の声に応え、根曳衆がそろって片肌を脱ぐ場面も見逃せません。

諏訪神社では、踊り場を去るときに綱で船を支えながら石段を一段ずつ下ろす「階段落とし」があります。
囃子の子どもたちは船に乗ったまま演奏を続けます。
船を傷めるため、ほとんど稽古ができない場面だそうです。

傘鉾

檜の板で葺いた屋根の上に、棟上げの式で使う道具を飾ります。
船大工の町らしい意匠です。
踊町の傘鉾の中でただ一つ、傘の縁に輪がありません。
軽そうに見えて釣り合いが取りにくく、傘鉾持ちには難しい傘鉾だといわれます。

これまでの奉納(年ごとの話題)

昭和24年(1949年)、船大工町は戦後初めて川船で出演し、そのために船を新しく作りました。
御旅所のあたりは原爆の火災で焼けたままで、「戦後の復興はまずくんちから」という思いがあったと、振興会のコラムは伝えています。
昭和32年(1957年)には、根曳の経験者が集まって川船会が生まれました。

2023年は10年ぶりの奉納で、根曳の半数が初めての人でした。
船頭の子が打った投網は、父親が39年前に使ったものを受け継いだ、親子二代の網でした。
8日は雨で奉納踊が9日に延び、船大工町はこの日の庭先回りを取りやめました。

船大工町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 「コロナ順延で泣いた」速さと迫力の船回し 船大工町「川船」~復活!長崎くんち奉納踊 #3

    NBC長崎放送(YouTube)

  • 【KTN】船大工町の川船【長崎くんち2023~復活をつなぐ伝統と情熱~】

    KTNテレビ長崎(YouTube)

  • 平成25年長崎くんち踊町紹介② 船大工町 川船 (平成18年の映像)

    NBC長崎放送(YouTube)