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写真:©Yokoo(許可を得て使用)

常磐会

金屋町 傘鉾・本踊(ほんおどり)

2025年は奉納を辞退

令和7年(2025年)の踊町を見る

奉納
2015年・2025年
奉納予定
2032年

本踊の紹介

長崎の開港から間もない天正から文禄のころに開かれた、古い町の一つです。
このあたりは原爆で焼け、戦後に旧金屋町と今町を中心に今の金屋町になりました。
演し物は本踊。
昭和初めにいったん奉納をやめましたが、1986年に54年ぶりに復活し、2015年には新しい踊り「諏訪詣金屋綾錦」と花魁道中で観客を沸かせました。
傘鉾は、猿田彦大神の朱塗りの面を据えた戦後の新調です。
2025年は、出演できる家がほとんど見つからず、奉納を辞退しました。

演し物
本踊
奉納の復活
1986年(54年ぶり)
2015年の演目
本踊「諏訪詣金屋綾錦」・花魁道中など
町の世帯数
約240世帯(2024年の報道)
2025年
担い手不足などで奉納を辞退

ここに注目

  • 猿田彦大神の朱塗りの面を据えた傘鉾
  • 1986年に54年ぶりに奉納が復活
  • 2015年は新作の本踊「諏訪詣金屋綾錦」と花魁道中
  • 2025年は担い手不足で辞退。次回の奉納に期待がかかる

町の歴史

旧金屋町は、天正13年(1585年)から文禄元年(1592年)の間に開かれたとされる、長崎の「内町」の一つです。
岩原川の河口の左岸にあり、豊臣秀吉の直轄地となって地子銀(土地の税)を免除されたと伝えられます。
のちに長崎代官となる村山等安が、長崎に来て最初に住んだのもこのあたりと言われます。

昭和20年(1945年)の原爆で町の家々は焼け、傘鉾も失われました。
戦後、旧金屋町と今町を中心にして今の金屋町ができ、傘鉾も新しく作り直されました。

演し物(本踊)

金屋町はこれまで本踊を奉納してきました。
大人に加えて、5〜10人ほどの小学生も出演するのが町の踊りの形です。

1930年代にいったん奉納から退きましたが、1986年に54年ぶりに復活しました。
2015年には新しく作った本踊「諏訪詣金屋綾錦(すわもうでかなやあやにしき)」を奉納し、花魁道中なども披露して観客を魅了しました。

傘鉾

傘鉾の飾りは、老松の下、方位石の上に、天孫降臨の道案内をした神・猿田彦大神の朱塗りの面を正面に据えたものです。
右に鉾、左に太刀を置き、三社の紋に白菊を添え、背には御神号を配しています。

輪は注連縄飾りで、垂れは西陣織。
赤い地に雲が立ちのぼる文様を、金襴で縁取っています。

2025年の辞退と、これから

2024年の夏、金屋町は翌年の奉納を辞退することを決めました。
町の約240世帯のうち、出演の意向を確かめられたのは1世帯だけで、子どもの稽古を支える裏方も足りなかったためです。
ほかの年の踊町から手伝いの申し出もありましたが、運営は難しいと判断しました。

このため2025年の常磐会は6カ町での奉納になりました。
金屋町は、祭りの世話役を務める「年番町」は続ける考えで、幹事町の賑町の会長は「次の年番町、踊町では出ると聞いている。次回は7カ町で奉納したい」と話しています。

金屋町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 平成27年長崎くんち踊町紹介④ 金屋町 本踊 (平成20年の映像)

    NBC長崎放送(YouTube)