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ながさき大くんち展で展示された賑町の恵美須船(写真:運営者)

常磐会

賑町 傘鉾・大漁万祝恵美須船(たいりょうまいいわいえびすぶね)

令和7年(2025年)の踊町を見る

奉納
2015年・2025年
奉納予定
2032年
@nagasaki.nigiwaimachi(賑町自治会青年部の Instagram・別ウィンドウで開く)

大漁万祝恵美須船の紹介

原爆で町のほとんどが焼け、旧材木町と本紺屋町をもとに戦後「賑町」として生まれた町です。
昔は柳川・大川から届く材木を商う材木町と、中島川を使った魚市場があり、恵美須神社が祀られていました。
この歴史を土台に1986年から奉納しているのが「大漁万祝恵美須船」です。
親船の恵美須船と子舟の宝恵船・豊来船の3隻が船団を組み、石畳を海に見立てて、恵美須姿の子どもの船頭が本物の生きた鯛を釣り上げます。
くんちで唯一、海の漁を表す演し物です。

演し物
大漁万祝恵美須船
初奉納
1986年(昭和61年)
船の数
3隻(恵美須船・宝恵船・豊来船)
親船の重さ
約4.5トン
親船の根曳
20人
漁網のビードロ
約3万個
2025年の出演者
84人(うち子ども59人)

ここに注目

  • 石畳を海に見立て、恵美須姿の子どもの船頭が生きた鯛を釣る
  • 親船と子舟2隻、3隻の船団で大漁を祝う
  • くんちで唯一、海の漁を表す演し物
  • 約3万個のビードロを編み込んだ漁網
  • 笛を使わず、大太鼓一つで船回しを導く

町の歴史と町名の由来

賑町一帯は原爆でほとんどが焼け、旧材木町と本紺屋町を中心に、戦後「賑町」として新しく発足しました。
原爆で両町の傘鉾も道具もすべて失われたため、戦後に谷口正行氏の指導で傘鉾と奉納踊が作り直されました。

昔のこの町には、柳川・大川方面から運ばれた材木を扱う材木町と、中島川の水運を使った魚市場があり、その守り神として恵美須神社が祀られていました。
魚市場は大正時代まで町内にあり、今も鮮魚店が並んでいます。

演し物のあらすじ・構成

大漁万祝恵美須船は、親船の「恵美須船」と、子舟の「宝恵船(ほうえいぶね)」「豊来船(ほうらいぶね)」の3隻が船団を組み、魚群を追って大漁を祝う物語です。

始まりは、恵美須様に扮した子どもの船頭が活きのいい鯛を釣り上げる場面。
続いて子どもの網方が大きな網で獲物を一網打尽にする「網入れ」、子舟の舟采が魚の居場所を知らせる合図、男女の若根曳による子舟の曳き回しと続きます。
最後は重さ約4.5トンの親船を20人の根曳が豪快に回します。

親船の屋根には大きな魚籠と錨が据えられ、その上に約3万個のビードロを編み込んだ漁網がかけられています。
伊勢エビなど本物の魚介を使い、宝の海を表すのが賑町のこだわりです。

見どころ・大技・掛け声

見どころは、石畳の上で本物の生きた鯛を釣り上げる瞬間です。
子どもたちが大勢出演するのも賑町の特徴で、網方・舟采・囃子などを子どもが担います。

船回しの合図は、笛を使わず大太鼓一つで船全体を導くのが賑町の伝統です。
大漁を願う「ホーエイ・エイエイヤー」の掛け声と、重々しい銅鑼の音で全員が動き出します。

傘鉾

傘鉾の飾りには、長崎名物のオランダ渡りのビードロ細工があしらわれています。
輪は黒いビロードに金文字で町名を刺繍し、垂れは金糸で青海波を織り出した地に、諏訪・森崎・住吉の三社の紋を金糸で織り出して刺繍を加えたものです。

これまでの奉納(年ごとの話題)

恵美須船は1986年(昭和61年)に初めて奉納され、2025年で6回目でした。

2025年はコロナ禍を挟んで10年ぶりの奉納で、賑町は常磐会の幹事町も務めました。
出演者は子どもから大人まで総勢84人、そのうち子どもが59人。
町の住民は12人にとどまり、町の外からの協力で奉納を支えました。
前日の諏訪神社では六番町としてトリを飾り、生きた鯛を見事に釣り上げています。

賑町の写真

賑町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 【長崎くんち2025 賑町】初の女性大太鼓×鮮魚店4代目の挑戦 生きた鯛釣る恵美須船

    NBC長崎放送(YouTube)

  • 本物のイセエビやタイを使って“宝の海”を演出 賑町【長崎くんち2025】

    KTNテレビ長崎(YouTube)

  • 2015平成27年長崎くんち踊町紹介⑦ 賑町 大漁万祝恵美須船 (平成20年の映像)

    NBC長崎放送(YouTube)