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ながさき大くんち展で展示された銀屋町の鯱太鼓(写真:運営者)

七和会

銀屋町 傘鉾・鯱太鼓(しゃちだいこ)

奉納
2014年・2024年
奉納予定
2031年
@ginyamachi_syachidaiko(銀屋町 鯱太鼓(公式)の Instagram・別ウィンドウで開く)

鯱太鼓の紹介

江戸時代の初めに生まれた職人の町で、町名は銀細工の職人が多く住んだことに由来します。
演し物の鯱太鼓は、昭和57年の長崎大水害のあと、災害が二度と起きないようにという願いと、復興に向かう人々への祈りを込めて、昭和60年(1985年)に生まれました。
据太鼓の演奏で鯱を呼び覚まし、黄金の鯱を乗せた山飾(だし)を「ホーライコ」の掛け声とともに宙へ放り上げ、片手で受け止めます。
傘鉾は文政3年作の「流金出世鯉」です。

鯱太鼓の初奉納
昭和60年(1985年)
担ぎ手
46人
傘鉾
流金出世鯉(文政3年・1820年作)
町名の復活
平成19年(2007年)1月
2024年の奉納順
前日6番目・中日4番目・後日3番目
次の踊町
令和13年(2031年)

ここに注目

  • 「ホーライコ」の掛け声で山飾を宙へ放り上げ、片手で受け止める
  • 鯱を呼び覚ます据太鼓の演奏
  • 長崎大水害からの復興の願いから生まれた演し物
  • 文政3年作の傘鉾「流金出世鯉」

町の歴史と町名の由来

銀屋町は中島川にかかる袋橋から寺町へ向かう通りのあたりにある町です。
昭和41年の町名と町境の変更で、古川町と鍛冶屋町の一部になり、いったん名前が消えました。
住民の強い願いがかない、平成19年(2007年)1月に「銀屋町」の名前が戻りました。

町には長崎ゆかりの人物も多く、日本で最初期の職業写真家として知られる上野彦馬も、この町の出身です。

演し物のあらすじ・構成

鯱太鼓は、中国に伝わる「蓬莱鯱(ほうらいこ)伝説」を表します。
東の大海に住む鯱が海原を裂いて天をめざし、蒼天に至って黄金の龍となり、人々に吉祥を招く、という話です。

奉納は、鯱を呼び覚ますとされる据太鼓の演奏から始まります。
続いて、てっぺんに黄金の鯱を乗せた山飾を担ぎ手が担ぎ上げ、踊り馬場を駆け回り、回転させます。
荒波にもまれながら天へ昇っていく鯱の姿を、担ぎ手の動きで表します。

見どころ・大技・掛け声

最大の見せ場は、「ホーライコ」の掛け声で山飾を高く放り上げる場面です。
宙に舞った山飾を片手で受け止める瞬間に、会場は大きくわきます。
くんちの演し物の多くが曳く山車なのに対し、担いで放り上げるのは鯱太鼓と樺島町のコッコデショだけとされます。
担ぎ手が半纏を脱いでいっせいに放り投げる場面も見どころです。

担ぎ手の体力づくりは早くから始まります。
2024年は1月から週2回、3月からは週3回のトレーニングを重ね、稽古と本番を担ぎきる体を作りました。

傘鉾

傘鉾の飾りは、金色の鯉が波しぶきの中から飛び上がる「流金出世鯉」です。
収納箱の墨書から、文政3年(1820年)に「山本泰助」が作ったことが分かっています。
銀屋町自治会は、この作者を長崎の絵師の家系・上野家の5代目で、上野彦馬の祖父にあたる上野若瑞と考えています。
上野家は絵だけでなく金属細工の技も受け継いでいました。

これまでの奉納(年ごとの話題)

2024年は10年ぶりの奉納でした。
前回まで囃子方として山飾の上に乗っていた子どもたちが、今回は据太鼓の打ち手として出演し、7年ごと(今回は10年)の成長を見せました。

後日の諏訪神社では、据太鼓の打ち手が「昇龍」をたたいて鯱を呼び覚まし、約2500人の観客の前で黄金の鯱が高く舞いました。
2020年に亡くなった鯱太鼓の生みの親・高木忠弘さんに奉納を捧げる担ぎ手もいました。
次の踊町は令和13年(2031年)です。

銀屋町の写真

銀屋町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 【長崎くんち前日奉納踊】六番町・銀屋町「鯱太鼓」

    NCC長崎文化放送(YouTube)

  • 【KTN】銀屋町の鯱太鼓【長崎くんち2024 つなぐ伝統】

    KTNテレビ長崎(YouTube)

  • 日本一稽古する祭り!長崎くんち【銀屋町】750キロのだしを天へ鯱太鼓

    NBC長崎放送(YouTube)