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ながさき大くんち展で展示された八幡町の弓矢八幡祝い船(写真:運営者)

七和会

八幡町 傘鉾・山伏道中(やまぶしどうちゅう)・剣舞(けんぶ)・弓矢八幡祝い船(ゆみやはちまんいわいぶね)

奉納
2014年・2024年
奉納予定
2031年
@yahatamachi_kunchi(八幡町くんち奉納踊(公式)の Instagram・別ウィンドウで開く)

山伏道中・剣舞・弓矢八幡祝い船の紹介

町の八幡神社を開いたのが修験者(山伏)だったことにちなみ、山伏道中・剣舞・弓矢八幡祝い船の3つを奉納する町です。
町の人は「やーたまち」と呼びます。
ほら貝を吹く山伏の行列が入場し、神前で奉祷文を読み上げ、剣士が剣舞を舞います。
続く祝い船では、八幡様の使いとされる白い鳩を空へ放ち、最後に船を5回転半させる「八幡返し」で締めくくります。
2024年は根曳を町の外からも迎え、若返った顔ぶれで10年ぶりの奉納に臨みました。

町名の始まり
延宝8年(1680年)
剣舞が加わった年
大正4年
弓矢八幡祝い船の初奉納
昭和60年(1985年)
船の重さ
約2.5トン
根曳
18人(2024年)
大技
八幡返し(5回転半)
2024年の奉納順
二番町

ここに注目

  • ほら貝を吹いて進む山伏道中
  • 那須与一の場面を描く剣舞「扇の的」
  • 祝い船から白鳩がいっせいに飛び立つ瞬間
  • 船を5回転半させる大技「八幡返し」
  • 2024年は町の外からも根曳を迎え、県外から通う人もいた

町の歴史と町名の由来

八幡町は、延宝8年(1680年)に今の町名になりました。
町内の八幡神社は、山伏が京都から八幡神を迎えてまつったのが始まりと伝わります。
この由来から、八幡町は町名が変わって以来、山伏道中などを奉納してきたとされます。

大正4年には剣舞が加わり、昭和60年(1985年)からは曳物の「弓矢八幡祝い船」も加わりました。
八幡様は「弓矢八幡」とも呼ばれる武勇の神で、剣舞や祝い船はこの性格にちなんだ演し物です。
保持団体は八幡町自治会で、くんち奉賛会をつくって運営しています。

演し物のあらすじ・構成

入場は、山伏姿の先曳、剣士、祝い船の順です。
全員がほら貝の音とともに進みます。
まず神前で奉祷文を朗読し、次に剣士たちが剣舞を演じます。
剣舞の演目のひとつ「扇の的」は、源平合戦で那須与一が船上の扇を射抜く場面を表したものです。

「弓矢八幡祝い船」は、京都の山伏たちが諏訪神社へ奉祷文を納めるため、侍大将に守られながら荒波を越えて長崎へ入港する、という筋立てです。
目まぐるしい前進・後退・回転で航海の荒々しさを表し、船が止まったところで白鳩を放ちます。

見どころ・大技・掛け声

見どころは「静」と「動」の切り替えです。
荒々しい曳き回しのあと、一瞬の静けさのなかで船に取り付けた箱から白鳩が飛び立ちます。
2024年の会見では、船から30羽、諏訪神社では半回転のときにさらに100羽を放つ計画が語られました。
白鳩は7年に一度の奉納のために、代を継いで飼い続けているそうです。

終盤には、船を5回転半させる大技「八幡返し」があります。
重さ約2.5トンの船を18人の根曳衆が操り、「ヨイ ヤア わっせ」「おっせ おっせ」の掛け声で荒波を表します。
剣舞は、もとは男の子だけでしたが、平成12年から女性も参加できるようになりました。

傘鉾

傘鉾は、朱塗りの弓立てと大弓に、白鳩がとまる意匠と紹介されています。
弓矢の神と、その使いの鳩という町の由来がそのまま形になっています。
江戸時代、八幡町の傘鉾は永島家が一手に引き受けて用意していたといわれます。

これまでの奉納(年ごとの話題)

2014年の奉納のあと、新型コロナによる中止と順延が続き、次の出番は10年後の2024年になりました。
八幡町は2024年1月に結成式を開き、70人ほどが集まって奉納の無事を誓いました。

2024年は根曳衆が大きく若返り、町の外からも仲間を迎えました。
週5日の稽古に、県外から片道4時間かけて通った根曳もいます。
成人の女性剣士も全員が初参加でした。
本番は二番町として諏訪神社に登場し、勇ましい剣舞と船回しを披露しました。

八幡町の写真

八幡町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 【長崎くんち奉納踊り】二番町・八幡町「弓矢八幡祝い船」

    NCC長崎文化放送(YouTube)

  • 【KTN】八幡町の弓矢八幡祝い船【長崎くんち2024 つなぐ伝統】

    KTNテレビ長崎(YouTube)

  • 10/7前日 諏訪神社奉納(令和6年八幡町)

    令和6年 八幡町くんち奉納踊(YouTube)