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ながさき大くんち展で展示された椛島町の太皷山(コッコデショ)(写真:運営者)

北斗会

椛島町 傘鉾・太皷山(たいこやま)(コッコデショ)

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奉納
2018年
奉納予定
2028年

太皷山(コッコデショ)の紹介

ながさき大くんち展で展示された椛島町の太皷山(コッコデショ)(写真:運営者)

江戸時代、長崎の貿易品は堺・大坂の船で上方へ運ばれ、その船頭たちの定宿がこの町でした。
その縁で堺の段尻が伝わったといわれ、寛政11年(1799年)の初奉納以来の人気の演し物です。
正式名は太皷山で、コッコデショは掛け声。
屋根に大座布団5枚を重ね、子ども4人の太鼓打ちが乗った約1トンの山車を、36人の担ぎ手が揺らし、走らせ、空高く放り上げて片手で受け止めます。
2018年は福島県川内村のヒノキで担ぎ棒を新しくしました。

演し物
太皷山(コッコデショ)
初奉納
寛政11年(1799年)
太皷山の重さ
約1トン
担ぎ手
36人(2班)
太鼓打ち
子ども4人
屋根の座布団
5枚
保持団体
樺島町太鼓山(コッコデショ)保存会
次の奉納
2028年(令和10年)

ここに注目

  • 約1トンの山車を空高く放り上げ、片手で受け止める
  • 「アトニセイ」「トバセ」「廻れ」などの掛け声
  • 寛政11年(1799年)から続く由緒
  • 福島県川内村のヒノキで新しくした担ぎ棒(2018年)
  • 3日間で約2500か所の庭先回り(2018年)

町の歴史と演し物の由来

江戸時代、長崎で陸揚げされた貿易品は、多くが堺や大坂の船で上方へ運ばれました。
その船頭や水夫が泊まる宿があったのが椛島町(樺島町とも書きます)です。
彼らが伝えた堺の段尻(だんじり)がもとになり、長崎で独自の形に育ったと考えられています。

初めての奉納は寛政11年(1799年)。
それ以来、くんちで最も人気のある演し物の一つです。
太皷山は港に出入りする荷船を、担ぎ手は波を表すといわれます。
ただ、放り上げて片手で受け止める荒技は、ルーツの関西にもありません。

演し物の構成と掛け声

太皷山には4人の子どもの太鼓打ちが座り、屋根には大きな座布団を5枚重ねます。
これを36人の担ぎ手が担ぎます。

まず「ホーエンヤホーランエーエーヨイヤサノサ」の掛け声で左右に揺らしながら入場します。
「アトニセイ」で後ろへ戻り、「トバセ」で走ります。
「イヤシャントサイタヨナ、ヨヤショ」で3回上下させて高く放り上げ、手を打ってから片手で受け止めます。
「廻れ」で3回回って高く上げる。
これを3回繰り返します。

見どころ

一番の見せ場は、子どもを乗せたままの約1トンの山車が宙に舞い、担ぎ手が一斉に片手で受け止める瞬間です。
担ぎ手は書類と体力の厳しい試験で選ばれ、2018年は18〜50歳の40人が選ばれました。

2018年は根曳の法被を京都の染め師によるちりめんで新しくしました。
脱いだ法被を威勢よく投げる場面で、はらりと舞って落ちるよう重さまで計算しています。
3日間で回った庭先は約2500か所にのぼりました。

傘鉾

傘鉾の飾り(だし)には松があしらわれています。
2018年は、熊本県八代市のイ草で松の葉を約4千枚作りました。

これまでの奉納

昭和57年の長崎大水害の年も、町のイメージを取り戻そうと、出島町・東古川町・大黒町とともに奉納しました。

2018年は、原発事故で被災した福島県川内村から贈られたヒノキで担ぎ棒を新しくし、長崎から復興を願いました。
くんちが中止になった2022年には、代わりの行事「大くんち展」(出島メッセ長崎)に太皷山を展示しています。
次の出番は2028年(令和10年)の予定です。

椛島町の写真

椛島町の奉納の様子

YouTube の動画を、YouTube の埋め込みの機能で表示しています。

  • 【長崎くんち2018】くんち踊町紹介 椛島町

    NCC長崎文化放送(YouTube)

  • 【長崎くんち2018】椛島町コッコデショ中日に密着【NCCスーパーJチャンネル長崎】

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  • 椛島町 後日涙のフィナーレ

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