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ながさき大くんち展で展示された紺屋町の傘鉾(写真:運営者)

北斗会

紺屋町 傘鉾・本踊(ほんおどり)

令和10年(2028年)の踊町を見る

奉納
2018年
奉納予定
2028年

本踊の紹介

江戸時代に染め物職人が集まっていたことが町名の由来です。
明治・大正には曳壇尻や川船を出したこともありましたが、戦争末期の強制撤去で町が小さくなり、長く奉納から離れました。
平成2年、町内で積み立てをして本踊で踊町に復帰します。
2018年は「平成納め」のくんちの一番町として先陣を切り、染め仕事の様子を舞にした本踊「稔秋染耀紺屋彩」を奉納しました。
明治の傘鉾と、白丁に烏帽子の古い形を守る傘鉾持ちも見どころです。

演し物
本踊
踊町への復帰
平成2年
2018年の題
稔秋染耀紺屋彩
指導
藤間流 藤間金彌師匠
晒し布の長さ
約3メートル
傘鉾の製作
明治11年(垂れは明治44年)
次の奉納
2028年(令和10年)

ここに注目

  • 白い晒し布を空に振り上げる「布さらし」
  • 昔の染め型から起こした布の柄
  • 明治11年作の傘鉾と、白丁・烏帽子の傘鉾持ち
  • 2018年は一番町として先陣を切った

町の歴史と町名の由来

紺屋は染物屋のことで、江戸時代の紺屋町には染め職人が集まっていました。
今の住所には紺屋町という町名はなく、昔の町名のまま踊町を続けている町の一つです。

戦前は大きな町で、昭和8年には川船を出した記録があります。
けれども太平洋戦争の末期に建物の強制撤去を受け、戦後は町の範囲が狭くなり、奉納の辞退が続きました。
平成2年、町の人たちが積み立てで資金を用意し、本踊で踊町に戻りました。
日本舞踊や地方(じかた)の師匠、傘鉾を作る職人が町内に住んでいたことも、復帰を後押ししました。

演し物のあらすじ・構成

2018年の本踊は「稔秋染耀紺屋彩(みのるあきそめてかがやくこうやのいろどり)」です。
町内に住む藤間流の藤間金彌師匠が指導し、門下の踊り手6人が昔の染め仕事の様子を舞で表しました。
子どもたちも加わり、秋の景色に彩りを添えます。

女役の踊り手が広げる2種類の布の柄は、町に残っていた当時の染め型から起こしたものです。
本踊のあとの所望踊では、あとに続く6か町の演し物を歌詞に織り込み、くんち全体を盛り上げました。

見どころ

一番の見せ場は「布さらし」です。
踊り手が約3メートルの白い晒し布を空へ振り上げ、川の流れを表します。
中島川沿いの紺屋町で、かつて染めた布を川でさらしていた光景を思わせる場面です。

派手な曳き物ではなく、くんちの原点ともいえる本踊を無理なく続けたい、という町の思いも伝わってきます。

傘鉾

紺屋町の傘鉾は、明治11年に町の質商の家が一式を作ったものです。
明治44年には前日用と後日用の垂れ2枚を新しくし、今もそれを使っています。
昭和17年にその家から町へ寄贈され、戦中・戦後も町の人たちが守り抜きました。

傘鉾持ちが白丁(はくちょう)の装束に烏帽子をかぶるのも特徴です。
長崎の傘鉾の中で、古い形を唯一守っている貴重な例とされています。

これまでの奉納

踊町に戻った平成2年から数えて、2018年は5回目の奉納でした。
その年は7か町の先頭を切る一番町を務めています。

新型コロナの影響でくんちが3年続けて中止になり、踊町の順番が3年ずれました。
そのため次の出番は2028年(令和10年)の予定です。

紺屋町の写真

紺屋町の奉納の様子

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  • 【長崎くんち2018】くんち踊町紹介 紺屋町

    NCC長崎文化放送(YouTube)